教会と聖書
<教会とは>
教会はイエス・キリストを信じる人、また神様のことを知りたいと思っている人が集まる所です。教会では毎週礼拝があり、その中で神様を賛美し、聖書を通して神様からのことばを聞きます。
聖書がよくわからなくても、礼拝に出席しつづけることで神様のことを知ることができるようになります。
聖書では、教会はキリストのからだであり、そのかしらはキリストであると書かれています。そして教会員ひとりひとりはキリストのからだ(教会)の各器官と書かれています。教会につながることにより、私たちは神様の恵みを受けていくのです。
「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ人への手紙1章22?23節)
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Iコリント人ヘの手紙12章27節)
みことばにあるように、教会にはすべてのものを治めておられるイエス・キリストが満ちているので、いやしや奇跡等、神様のみわざを体験することができます。これは大きな恵みであり祝福です。
どうぞ教会に気軽に足を運んでください。
お近くの主の十字架クリスチャンセンターの教会をお知りになりたい方は、「国内の各教会」のページをご覧下さい。
<聖書とは>
「2000ページもある書物を読むのは大変だ」あるいは「聖書は難しい」と思っておられる方が多いのではないかと思います。
しかし、聖書のテーマが何かを知り、書かれた目的が何かが明らかになると理解しやすくなります。
また、聖書は神のことばであると信じて読む時に、真理が明らかになってきます。
聖書のテーマは「イエス・キリスト」であり、聖書の書かれた目的は「人類の救い」なのです。
神様は私たち一人一人を愛しておられます。しかし私たちは、神様の言われる歩みをせず自分勝手な歩みをしています。
これが神様から見た「罪」なのです。罪を持ったまま歩むと、死後のさばきの時に永遠の滅びに至ってしまいます。
しかし神様は、何の罪もないイエス・キリストをこの世に送られ、私たちの罪のために十字架にかけられました。
私たちが自分の罪を認め、イエス・キリストが自分の罪の身代わりになって十字架で死なれ、
3日目に復活したことを信じる時に、私たちは罪の赦しを受け、永遠の命が与えられるのです。
ただ信じるだけで天国への約束が与えられるのです。
あなたもイエス様を信じませんか?
信じたいと思った方は tlccc@crocus.ocn.ne.jp
までメールをお送り下さい。
©Copyright 1998-2009. The Light of Eternal Agape.