世界のリバイバルに向かって 祈りのミッション

Heading for Revival throughout the World


おはようございます。

2012/04/25

今日明日私は仕事です。
世田谷区にあるお年寄りのデイケアセンターです。
子供の頃、病弱で心臓も弱かった過去があり、体力を使う仕事につくことになるとは想像していませんでした。
けっこうな年ですが、年齢を重ねる度にますます生活はハードになるような感じがします。主の計画、主が力与え支えてくださっています。
今日のバックは。


着替えと、歌の本が入ってこんなになってしまった…
しかし、実はカバンが大きいのはいつもの事で、「今から派遣に行くの?」「ねぇ、これ…お泊りだよね?」と教会でもからかわれています。笑

さあ、今日も体力勝負です。
主に力を求めます。
どうかみ心の仕事ができますように。
東北では、今日は三沢と弘前でカリスマ聖会があります。
み心がなりますように。

2012年度 殉教記念祈りのツアー ~26聖人の足跡を追う~

2012/04/25

2012年2月7日(火曜日)に祈りのツアーがなされました。

長崎殉教聖会の次の日に。長崎教会から、Tlcccのお墓−Tlccc長崎教会ー山本村−彼杵−時津−西坂へと巡り、

各場所、屋外にて短い説明と、礼拝、祈りの時間をとりました。
西坂ではレンゾ・デ・ルカ館長様によるご案内で日本二十六聖人記念館見学をさせていただきました。



講師 ガイド   The Light of Eternal Agape神のしもべ長崎教会    イザヤ木原真 牧師

企画         祈りのミッション代表   テモテ小林牧師

 

 

長崎の西坂公園で

2012/04/25

2月6日月曜日 長崎西坂公園において、「長崎殉教記念聖会ー日本26聖人の足跡にならってー」が行われました。

夕方は

2012/04/25

2月6日夕方、長崎大学文教キャンパス中部講堂で、「日本二十六聖人の歴史から学ぶ平和の集い」が行われました。

翌日は

2012/04/25

2月7日殉教記念祈りのツアーが出発しました。まずは、Tlcccの群れのお墓の見学です。主の不思議な導きで与えられたお墓です。

長崎教会の奉仕者の皆様、感謝致します。よろしくお願い致します!教会から参加者全員で出発します。

こちらのBUSです。

2012/04/25

大型バス一台で行きます。とってもゆったりした良いBUSです。主は何を教え、どんな語りかけをくださるのでしょうか。期待いっぱいです。

山本村

2012/04/25

1597年2月5日。太閣秀吉の命令で、日本で初めての殉教があった。その26聖人の足跡をたどる。初めの地は山本村。    

京都・大阪で捕らえられたキリシタン24人に、佐賀の山本村で2人の者が自主的に加わり合計26人となった。   

彼らは1か月以上かかって、長崎までの殉教の道のりをゆきました。

                              

 

 

 

 

山本村で祈る

2012/04/25

唐津の山本村で
「私の養子になれ。」 なんとかして12歳の少年を助けようと、処刑の執行責任者、寺沢半三郎は言った。           

しかし、その誘いを断って、十字架にかかって、殉教することを選んだルドビゴ少年。

「終わりのなき永遠の命をたちまち滅びる束の間の肉体の命とは代えられません・・・あなたもキリストを信じて私と一緒に天国に参りましょう。」                                     

わずか12歳の少年は言ったそうです。                                      

彼は、天へのあこがれ、喜びに満たされていました。  最も価値あるものに、少年の心はしっかりと定っていました。 

この地で祈りました。 

み言葉

2012/04/25

マルコ8:34~36 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」  

命を救おうと思うものはそれを失い、わたしと福音のために命を失うものはそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、命を損じたら、なんの得がありましょう。       

 

 

 

彼杵    

2012/04/25

ここから時津港に向かって三そうの舟で26人は運ばれます。

彼の涙は・・・

2012/04/25

26人のリーダー、ペテロ・バプチスタ神父は、涙を流しました。 

それを役人たちは、「死ぬのが怖いのだ。」と、陰で笑っていたそうです。 ・・人の中には、なんと残酷な心があるものでしょうか。                    

しかし、彼の涙の本当の意味は、日本の救われてない沢山の魂と、閉ざされている日本の宣教を思ってのものでした。             

パウロ三木には彼の心が痛いほどわかりました。ですが、役人たちが勘違いするのを見て「どうか泣かないでください。」とお願いします。                   
神父はつまづきを与えたくないと、すぐに涙を止めました。全ては主のために。



この日の彼杵の海は

2012/04/25

風が強く激しい波がたっていました。