26人は東彼杵から舟で、時津に運ばれてきました。
とっても寒い夜でした。それは、彼らが過ごした地上で最後の夜・・まさに彼らにとってのゲッセマネでした。
ここはキリシタンの町であり、 暴動を警戒されたために、その日の上陸は許されず、26人は、吹きさらしの舟に残されたのです。
時津港
2012/04/25
彼らの祈り
2012/04/25
十字架
2012/04/25
西坂の丘で・・・
「私のつく十字架はどこですか?」 丘を駆け登ると、
12歳のルドビコ少年は自分のつけられる、一番小さな十字架に頬ずりし、口づけしました。 アントニオ少年は、泣き叫び止めに入る両親を目の前に十字架の上から言った。
「喜んで下さい。私は天国へ行きます。」 「お父さんお母さんもイエス様を信じて天国へ来てください。」
「喜んでください!」
処刑執行人の寺沢半三郎とパウロ三木は、旧友だったそうです。 半三郎の胸は痛みます。
パウロ三木は十字架の上で、最後まで福音を語りました。「私は、死刑を命じた太閣様、半三郎、お役人、執行人を赦します。何も恨んでおりません。
ただ、私の願いは、全ての日本人がイエスキリストを救い主と信じて救われることです。」
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 マタイの福音書 5:44
天の賛美
2012/04/25
殉教
2012/04/25
26人の処刑は行われた。
一番最初の殉教者はメキシコ生まれ24歳のフィリペ。 彼は、まったく日本に来るつもりなどなく、ただ、メキシコに戻る船が難船して、日本に漂流。そして殉教者に入れられたそうです。 でも、彼は主に選ばれたことを喜んで感謝してこの十字架を負ったのです。
彼が最初に槍で突き刺され処刑されました。
そして、最後まで残されたのは、26人のリーダーだった、ペテロ・バプチスタ神父です。
役人たちが彼を最後にしたのは、仲間たちが次々苦しんで殺されるのを見れば、神父が信仰を捨てるかもしれないと思ったからだそうです。 ところが、ペテロ・バプチスタ神父は、全員が最後まで主を愛し、信仰を守り通して殉教していく姿を見届けたかったのでした。 そして、彼の願った通り全員が喜んで天に帰っていく姿を見守って、そして、26番目の最後に彼は槍を受けました。
最後の祈りの言葉は、
「父よわが霊を御手にゆだねます。」十字架の主と同じでした。